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極めて個人的な嗜好、いや思考

  • author: YOKO
  • 2017.11.08 Wednesday

先日のミニ手術は無事抜糸も終わり、良性、悪性の腫瘍ではなく粉瘤という毛穴のポケットでした。抜糸して終わり!と思ったら「傷を綺麗に治すために2〜3ヶ月、テープを貼ってください。」

いつまで我慢できるかが目下の課題です。

 

 

昨日はアルゼンチンから龍合宿に来ているガブリエルさんとアリエルさんの二人を、安藤先生の許可をいただいて舞浜さくら会の稽古にお連れしました。二人の先生である、アルゼンチン「銀龍館」を主宰するフェルナンド先生とは初めて日本に来られた時からのお付き合いで、ガブリエルさんは2度目の舞浜、アリエルさんは初めてでした。

木曜日にアルゼンチンに帰ると聞いたので、てっきり三段の審査は日曜日に終わってると思っていたら、水曜日に審査とのこと。

考えていた「楽しい稽古」プランが急遽「審査稽古」に変更しました。

アリエルさんは合気会10年、養神館10年のベテラン。

ガブリエルさんも今では立派な先生です。

短い時間で出来る限りの事をお伝えし、ランダムに有段技を出していくつか小さなところを修正、そのあと「模擬審査」をさせていただきました。

受けを取るのは村田さんとSさん、多人数取りはマイクと徳永さん。

ここで一気に二人の緊張がピークに。

そして二人だけでなく受けの4人の緊張もピークに達しました。

そして約20分間、普段の稽古とは違ったスイッチが入り、道場内にはピンとした空気が張り詰めました。

 

ここで私の極めて個人的な嗜好のお話です。

私は男性たち(男性に限らずですが、特に男性)が緊張して極限の力を出し切る、というシチュエーションが大好き。幸い、そういうシチュエーションを設定できる立場にいさせてもらっているので、チャンス!と思ったら、それを設定させてもらいます。

よく緊張した時のことを「頭が真っ白になって何をやったかわからない。」などと言いますが、この状態の時に出せたもの、出たものこそがその人の本当の実力だと私は思っています。

その状態で出なかったものはまだ十分に身についたものではないのです。

そして、その緊張状態で出せたものは、、、

今後のその人の大きな自信につながります。

だから時々は、ある日、突然、予期せず、十分な準備の時間もなく、

こういうシチュエーションを経験することはいいこと。

特に男たちは、いざとなれば戦に行き、狩に出かける生き物であるにもかかわらず、普段は猫のように「最も居心地のいい場所」を見つけて安穏としているものです。頭は使ってるかもしれませんが、体の奥深くに潜む本能的な闘争心(合気道の場合は自分自身への闘争心です。)はほとんど眠っているので錆びついてしまいます。たまにそれを使ってみて「男である事」を思い出させるのも必要です。

(特にうちのマイクとポチですけど。)

そうだ、男だ!

 

模擬審査は、受験者と受けの両者のスパークが繋がって、

素晴らしいものになりました。

見ていた皆さんは感動。

冷静に見えてたガブリエルさんとアリエルさんも、

「めちゃめちゃ緊張しました。」と汗びっしょり。

ふん、いいぞ、いいぞ!

 

稽古の後、喜ぶかと思ってメキシカンレストランに行ったのですが、

「スパイシーダメなの。」と二人。あら。

南米の男たちはみんなテキーラ、ガブッ、生唐辛子をバクリ、と思っていたので膝がこけました。

「ここではチョコレートにも赤唐辛子が入ってるんだよ。」と言うと、

「そんなの信じられない。」あら。

「カウンターのところでセルフでコリアンダーやオニオン、ハラペーニョを好きなだけトッピングできるんだよ。」と言うと、

「辛いのだめだからいらない。」あらら。

 

 

何もトッピングしていないのに、

「オー、スパイシー!」と言いながら食べていました。

こっちはどっさりトッピングにソースをドバドバ。

「明日、審査の前にこのソースを飲んだら、ガオーって火を吹いていいかもしれないね。」

「いいかも、いいかも。」

 

短い時間でしたが楽しい時間でした。

二人の合気道を見ているとフェルナンド先生を感じることができました。

いい先生という何よりの証拠。

明日、二人はドバイ経由で36時間かけてアルゼンチンに帰ります。

 

人生で大切なことは全て幼稚園の園庭で学んだ

  • author: YOKO
  • 2017.10.06 Friday

確かそんなタイトルの本が何10年も前に出て読んだのを覚えています。

友達とは仲良くする。

人の嫌がることはしない。

人の物は大切にする。

もし、人に何かを借りて、それを壊しちゃったらゴメンね、と謝る。

ゴメンね、と言われたら、イイよ、と許す。

仲間外れをしない。

人の悪口を言わない。

などなどです。

 

 

本の趣旨は、「そんな基本的なことなのに、人は大人になってもそれすら守れないのでは?」と言うものでした。

ホントにね。

特に現代はネットというものがありますから、さらにたちが悪い。

さらに闇が深くなりました。

あな、恐ろしや。

人間の悪意に善意が負ける事は歴史が証明してきました。

そうは思いたくないけれど。

 

で、合気道の話です。

合気道は「受け」と呼ばれる相手の身体を使って稽古をします。

演武もします。

つまり相手の腕や体を「借りて」行う武道です。

行うんです。戦うんではないのです。悪しからず。

だったら、先ほどの「幼稚園の園庭で学んだ」と同じく、人から身体の一部を借りたなら、それを壊さないように注意しながら使わせていただくのが当たり前の常識です。

もし、自分の上達のためだけを考えたり、演武の見栄えばかりを考えて、相手の身体のことをケアしないで合気道を行うならば、それは4才、5才の子どもたちにも叱られてしまうような事なのではないかと、私は考えます。

 

 

何も相手を床に思い切り叩きつけなくても、

(見ていても気持ちのいいものではありません)

いい演武はできるはず。

祈る人たち

  • author: YOKO
  • 2017.09.27 Wednesday

先日、道場にたまたま村田さんと同時に入ることがありました。

道場入り口にある「第一武道場」のパネルを彼が手でこすったので、

「うん?汚れてた?」と聞くと、

「いえ、いつもこうしてから入るんです。」

「なんで?」

「今日も誰も稽古で怪我しないで無事に終わりますように、

って言う僕のおまじないです。」

10年以上も一緒にここで稽古して来たのに全く知らなかった!

 

 

82歳の梅澤さんはいつも道場の外にある腰掛の前に正座して、

祈るようにしばらくいます。

「こうしないと息が整わなくて膝もガクガクしてしまうのです。」

道場に入ってからは鏡の前でしばらく静かに正座しています。

彼の口癖は「皆さんに迷惑だけはかけたくないのです。」

 

 

私は道場に入って、みんなが来る前の数10分、

稽古ノートを開いて考えていた稽古プランを書きながら、

「今日もいい稽古ができますように。」

と心の中で祈ります。

 

 

マイクは体操の「膝伸ばし」で仰向けになっている時に、

いつも何かを天井に向かって神様に感謝しています。

 

 

そう、みんな祈ってたんです。

方法はそれぞれですが、

「祈る」と言う行為に変わりはありません。

祈る人たちがいて続いています。

 

合気道での緩急

  • author: YOKO
  • 2017.09.22 Friday

先日、足の状態が良くない76歳の小西さんが「見学します。」

とアドバンスクラスに来てくれました。

休まないで見学する、というその気持ちにまず感嘆。

稽古が終わって小西さんがこう言いました。

「やっぱり合気道の技で大切なのは緩急ですね。

自分がやっていると分からなかったけれど、こうして90分、じっくり見ていたらすごく良くわかりました。」

思わず私は「おう!」と言ってしまいました。

「緩急」つまり「リズム」は合気道に限らず、すべての楽器やスポーツにとって最も大切な事でありながら、実は習得する事が最も難しいものです。

人によっては、どんなに努力しても習得できない場合すらあります。

小西さんは続けます。

「緩急をつけるには、その人がその技をどう理解しているか、にかかって来ますね。緩急のない動きは見ていて面白くない。しかし、一番最初に、「イチ、ニ、サン、シ、オサエ!」と習った感覚は中々、自分の体から抜けないものです。」

シニアの方々はご自分の身体は滑らかに動かなくても、口は滑らか!

そして的確です。

 

書道ではないですが、「抑え」と「抜き」が緩急を作ります。

抑えっぱなしでは息が詰まります。

「緩急」はまさに「呼吸」なのです。

「居付き」や「硬直」は「執着」に繋がります。

抜く事によって、その瞬間の相手の体や気持ちの変化を察知することによって、初めて技を有効に合理的に実行することができます。

なので「相手」がとっても大切になって来ます。

「相手」になる人間もどう稽古するかがとっても重要になって来ます。

そう、つまりは社会生活でも使えることがたくさん合気道でも学べるのです。

(緩急だけではないけどね)

(合気道だけじゃないけどね)

「道場は人生を学ぶ場」であり、

「人生は道場」でもあります。

がんばれ、警察学校!

  • author: YOKO
  • 2017.08.16 Wednesday

舞浜さくら会で合気道を稽古していた生徒さんのUさんが何度もトライして見事に警視庁に合格し、4月から警察学校に入校して4ヶ月。

やっとお盆休みで帰省が許されて帰って来ました。

あいにく2日違いで納会には出られなかったのですが、

「難関の試験に合格しても、警察学校の厳しさに耐えられずに辞めて行く。」という警察学校の話を聞く事ができました。

入校式初日から、そして寮生活の最初の朝から、たっぷりその「洗礼」を受けたようで、「覚悟はしていたけれど、それ以上でした。」とUさん。

話を聞くと、「そこまでしなくても、、」という感じですが、今の恵まれた世代の若者たちを「目を覚まさせて」実社会の犯罪やあらゆるトラブルに対処させて行くには、これは必要な「通過儀礼」なのだろうと思いました。

それでもUさんは幸運なことに、必修の合気道の先生が、さくら会のメンバーのKさんのご主人だったのです。何という奇遇!

合気道や逮捕術、筋力トレーニング、ランニングなどの日課で7キロも痩せたとか。

確かに身体も精神も引き締まっていました。

別れ際に「皆さんに」といただいたのは警察学校の売店で売っているという「POLICEまんじゅう」

とっても可愛い絵だけど、実際は大変なんだ!

次に会う時には茶帯でさらにたくましく成長している事を祈ってます。

Uさんが警察官になる頃には「天皇陛下の退位」や「東京オリンピック」などの一位大行事があり、一番下っ端で大変だと言われてるそうです。

がんばれ!

あ、Uさんは20代の女の子です。

合気道、道着

  • author: YOKO
  • 2017.08.05 Saturday

道着は白にかぎります。

ウインブルトンのテニスウエアは今でも白と決められていますが、クリケットのユニフォームは白に限る、は昔の話。

柔道もスポーツ競技として国際化した結果、青の道着はオリンピックなどですっかりおなじみです。

 

しかし、実際に道着を毎回、洗濯して乾かすのは大変です。

何日もお日様に当てて乾かすか、乾燥機で乾かすか、除湿機や扇風機をかけて乾かすか、とにかくあの分厚い襟や袖口や脇の部分を完全に乾かすのはなかなか手間がかかります。中途半端にしていると汗の部分がオレンジ色に、、、やがて黒になったら、もうアウトです。

それでも、合気道の稽古でかく汗が、まっ白な乾燥した木綿の道着に吸収されていく感覚は贅沢としか言いようのない感覚です。最近、特にそう感じるようになりました。

太陽の光をいっぱいに浴びて乾いた道着に包まれた自分の体、その体内からの汗が染み込んでいく感覚、、、。

この心地よさがあるからこそ、毎回の道着の洗濯もすっかり習慣となっています。

道着を洗っては干す(我が家は毎回二組ですが)

そんな生活が、かれこれ21年になります。

(小さい子供たちの道着姿も可愛いものです)

ちなみに村田先生は毎回、浴槽で漂白してから洗っているとか。(道着の洗濯だけは完璧主義者なのだ)

その心のように、道着も真っ白です!

私の合気道グッズ、結構持ってる!

  • author: YOKO
  • 2017.06.14 Wednesday

稽古仲間の美Kさんが、短刀入れ、木刀入れ、袴入れを手作りしてくださったのは、もう10年以上前のこと。今でも大切に使っています。

よく見ると耐久性を高めるために様々な工夫がされていて、生地の模様も、その用途にぴったりの優れものです。これを作りながらの私たちへの暖かな気持ちが伝わって来ます。

それと同時に、これを作っていた時の彼女の合気道への熱意もひしひしと感じることができます。

改めてこうして見ると、商品化したくなるほどの出来栄えですよね。

 

考えて見ると結構、合気道グッズ、持っていました。

あ、これは沖縄の比嘉先生の手作り。

これも重宝して使ってます。

 

美Kさん、来週の舞浜に顔を出してくれるかも。

合気道は今しばらくお休みでしょうが、こうして繋がっていられるのは何よりも嬉しいことです。

私は幸せ者です。

受けは81歳

  • author: YOKO
  • 2017.05.26 Friday

先日、浦安市合気道演武大会がありました。

今年は初めてマイクと「家族演武」にエントリーして夫婦演武をしました。

最後の「とどめ」を3回か4回はやるつもりだったのだけど、最初の「とどめ」をマイクの背中に思い切り強く切りおろしたら、「アオウ!」とマイクが叫んだので笑ってしまい、1回で終わりにしました。残念....

「指導者演武」は今年は81歳の梅澤さんに受けをお願いしました。梅澤さんとは週2回、長い間、中身の濃い稽古をして来た間柄なので今、私が表現したいものは梅澤さんとでしか出来ないような気がして梅澤さんに頼みました。

「演武稽古」として稽古したのは3回。その3回で私が求めたものを全て理解していただきました。

遠くから見たら、他の演武者がバンバン始まっているのにまだ膝行法で近づき正座で対峙していたのですから、「何やってんだ?」と思われた方もいるかもしれません。しかし、私と梅澤さんの間には「来年はないかもしれない。」という強い思いがありました。真摯に目線を合わせ、正面打ちに「氣」をこめ、受けは技をしっかり感じてから動き、投げ技では見事な受け身をとっていただきました。

たった2分間でしたが、周りは全く視野には入らず、最後の切りおろしでぴったり終了の「ドン」の太鼓の音が聞こえ現実に戻りました。

帰宅してから、梅澤さんから短いメールが届きました。

「先生、今日は強烈に引っ張られました。爽快です。」

指導者演武の受けとしては多分世界最高齢です。

しかし、そんなことは問題ではありません。生きている人間同士が深い所で技も精神も魂も繋がったような時間を持たせていただきました。

かけがえのない2分間でした。

私は一生、忘れない。

合気道って痛いんですよね?

  • author: YOKO
  • 2017.05.10 Wednesday

「合気道やってみませんか?」とお誘いするたびになぜか返ってくるのがこの言葉。

「合気道って痛いんですよね?」

なんで合気道=痛い、になっちゃったんだろう?

残念です。

痛いのが好きな人間もたくさんいますが、社会人として職業を持っているほとんどの人間にとって指や手首、肘、肩、などを痛める事は仕事に支障をきたします。

それに合気道を学ぶにあたって「痛い」はあまり重要ではないのに、どうしてこういう印象がまかり通っているのか不可解です。

舞浜さくら会を見学して入会してくれる方々は「ここなら安心して、楽しくできそうだなと思いました。」と。

前に「最後の抑えや当身は痛めつけなくてよろし」と書きました。

これを紐解いて行くと、最後だけでなくなります。

技の最初から最後まで「痛めつける」ところはないのがよろし。

「繋がる」感覚は「痛み」とは異なります。

痛めつけてたら、「あんた痛いよ!」と相手が堂々と言えたら尚よろし。

「痛み」でなく相手に技がかけられることができたら、こんなに素晴らしいものはありません。

それができたら、最初に相手と正対した時、構えた瞬間に「すでに勝っている」感覚になるはずです。

相手にしてみれば、すでに決着がついている状態の相手と、どうしてこれから戦う気が起こるでしょうか?

「やめとく」

と思ってくれるのが究極の勝負。

究極の護身術。

こう言う境地になるくらいに自分に自信が持てたらどんなにいいでしょう。

私の目標は、「構え、で終わる」あるいは、

「構え、でお友達」

そしてそれは道場の外でも、十分に通用するはずです。

実はその事の方が何倍も大事。

道場の外の世界が現実の世界です。

 

マルタ誠心館のレイ先生の四方投げは

  • author: YOKO
  • 2017.04.15 Saturday

マルタにいた時に最初に通ったのは「誠心館」道場でした。T先生のお弟子さんとの繋がりのある親日家のレイ先生は、早朝から会社の警備の仕事、夜は合気道の指導、指導のない夜は若者が集まるクラブの入り口の警備の仕事、というハードなスケジュールをこなしながらも合気道を愛してやまない、という方でした。

警備の仕事をしているくらいですから身体は大きくがっしりとしていて(元柔道チャンピオン)、顔は弁慶のようで、それはもう居るだけでもかなりの威圧感でした。しかし、レイ先生がいつも稽古の前後に話をする時は、穏やかで柔らかい声で実にいいことを言うのです。

出会った瞬間からレイ先生と私は「恋に落ちた」訳ではないのですが、合気道家として「お互いに惚れた」のは確かです。そのいい関係は、いい関係だったからこそ、後に悲しい結末を呼んだのですが、、、まあ、それはもう過去の事です。(もちろん色恋沙汰ではありません、派閥抗争のような、、、?)

レイ先生の稽古は全くのアーミースタイル。

例えば「一か条」と言ったら全員が「ヤメ!」の声がかかるまで仕手受けで繰り返しその技をやり続けます。なので生徒さんたちは技のレパートリーは少ないものの、一つの基本技の修得度はかなりのもの、それに付け加えて、かなりのスタミナとスピードでした。

生徒さんにも警察官やらセキュリテイー関係がゾロゾロいて、今思えばよくそのような道場で稽古していたなあ、、と思います。

レイ先生の技はどれも寸分の隙もなく、抜群の身体の安定の元に実行されます。しかし、例えば「四方投げ」の最後の抑え「顔面に向かって手刀を振り下ろす」ところだけ、すごく優しい。

そう、もう完全に勝っているのですから、そこから思い切り相手の顔面を叩き潰さなくてもいいのです。

圧倒的な技の最後の優しい「面」は私には新鮮だったし、それはレイ先生の人柄や合気道に対する思いの表われだと思ったことを今でも鮮明に覚えています。

誠心館

優しい面もよし、強い面もよし、

優しい抑えもよし、強い抑えもよしです。

それは好みと解釈の問題です。

人を傷つけさえしなければ、全てはよしです。

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