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ロンドンの中古レコード屋

  • author: YOKO
  • 2017.07.19 Wednesday

舞浜の合気道の新入生に「ロンドンに行くのですが何か欲しい物ありますか?」と聞いたら、「あ、中古のレコードを買って来てくれたら嬉しいです。ピーター・ガブリエルの。」

こんなに即、具体的に頼まれたことがちょっと新鮮。

次の稽古の後に

「もう1枚いいですか?シングル盤でmoonlight shadow」

今は耳にイヤホーンを突っ込んで電車の中とかで音楽を聴くのがフツーですが、私の中では、レコードプレーヤーにレコード盤をカバーから出して置き、ゆっくり針を落とし、スピーカーの前に座って明かりを落として、のいうのが正しい音楽の聴き方とまだ信じてるので、30代の若者が「レコードを聴くのが好きなんです。」なんて言うと感動してしまう。

ロンドンの2日目、娘のMがホテルまで来てくれる。

「どこに行きたい?」と聞くので、

「中古のレコード屋」と言うと、

「あ、私も買いたいのがあるから。」

と連れて行ってくれたのがイズリントン(なんとイギリスっぽい名前)という街。

街について歩き始めてすぐにマイクは「B&O」のお店を見つけてそこで40分。ワイヤレスの最新ヘッドフォンは5万円近いお値段でしたが素晴らしかった。

もちろん聴いただけ。電圧も違うしね。

そこからぶらぶら歩いて見つけたレコード屋は

「Flash back」

入ってみるとたくさんのレコード!

お客さんも!

そして見つけた!2枚のレコード!

ミッションのようで楽しかった!

Mもレコードを数枚買って、マイクが「プレーヤーあるの?」と聞くと、

「うん、持ってるんだけど今の部屋には置けないので友達の家に置いてもらって時々聴いてる。」とM。

彼女にはミュージシャンの友達も何人もいる(らしく)コンサートで彼女が歌ったこともあるそうな。

「すごくノリノリで歌ってたんだけど、気がついたらお客さんみんな帰っちゃて、誰もいなかったんだよね。」とおかしそうに笑う。

なんか楽しそうだね、あなたのロンドン生活。

毎日キッチンで10キロは歩いてると言う彼女、この日も私たちを連れて10キロ以上。

この2枚のレコードは昨日の稽古の後、無事に依頼者の手に。

他のメンバーにはクッキー1個ずつ、彼だけレコード。

恐縮する彼に「この恩は、黒帯になることで返してね。」と言うと、「黒帯ですか!いつになることやら。」

なるまで生きてるから!

「Boy named Sue.」という曲。親につけてもらった自分の名前は大切にしよう。

  • author: YOKO
  • 2017.06.26 Monday

もう30〜40年前になってしまうかもしれない...。

ジョニー.キャッシュの曲に、「Boy named Sue.」
という歌がある。
曲は知っていたけれど、英語の歌詞まで追いかけられない私は、
つい先日、その歌詞の意味をマイクから聞いた。 
「おやじは俺にスーという女の名前を付けて、
お袋と俺を捨てていなくなった。
お袋は女手一つでそれは苦労して小さい俺を育てた。
俺は俺で、名前のおかげで小さい頃からずっといじめ続けられた。
それがどんなに辛かったかなんて、
とても説明できるもんじゃない。
それほど俺はどこへ行ってもいじめられた。
大人になって俺は決心した。
おやじを探し出して、ぶっ殺してやると。
探して探して、やっと俺は憎いおやじを探し当てた。
「おまえがふざけてつけたおかしな名前のおかげで、
どんなに俺が苦労したか、お前にはわからないだろう!
ぶっ殺してやる!」
おやじと取っ組み合いの喧嘩になり、
おやじをねじ伏せた俺は銃を出して、
おやじのこめかみに当て引き金を引こうとした。
その時、おやじがこう言った。
「わかった。俺を殺す前に一つだけ、
お前に言っときたい事がある。聞いてくれ。
お前の母さんと赤ん坊のお前を捨てて家を飛び出す時に
 俺は考えた。
これからこの赤ん坊は父無し子として苦労するだろう。
だからスーという名前をつたんだ。
その名前のせいで、お前はみんなにいじめられ、
強くならざるを得ないだろう。
そして、どうだ、お前は本当にこんなに強い男になった。」
ぶっ殺そうとしていた、おやじへの憎悪が、
その1秒間で溶けてなくなった。
でも、もうすぐ産まれて来る俺の息子には、
マークでもデニスでもジョンでもなんでもいい、
とにかくスーなんて名前だけはつけねえ。」
歌詞を知らないで曲を聴いてるなんて、
ゆで卵の白身だけ食べてるようなもんだわ。
しかし英語の歌詞はたくさんの事が言えるもんだ。
もう一度、ちゃんとこの曲を聴いてみよう。

行ってきましたサントリーホール

  • author: YOKO
  • 2016.12.05 Monday

日比谷線の六本木から歩いて行こうと思ったら、もう完全なお上りさんでした。そびえ立つ新しいビルがここにもあそこにも、「アーク」だの「ヒルズ」だの、もうわからん。それになんで「サントリーホール」の標識が六本木駅からはないの?「最寄の駅」からみんなが行くと決め込んでいるのか。

結構、迷ってる人いました。

 

「ホセ・カレーラスはプラシド・ドミンゴと故ルチアーノ・パバロッテイと共に「三大テノール」と呼ばれ、その3人で開催したイベントでは20億人以上の観衆を動員し、オペラ界に空前の衝撃を与えました。

ホセ・カレーラスはキャリアの絶頂期ともいえる1987年に急性リンパ性白血病にかかり一時は生命も危ぶまれるほどの危機に陥りました。

その後、奇跡の復活を果たし「ホセ・カレーラス国際白血病財団」を設立し、できるだけ多くの患者が最先端の治療を受けられること、医学研究者の奨学金制度、病院医療設備の拡充、患者と家族の支援、国境を越えた骨髄バンクのネットワークシステム、などを推進しています。

白血病撲滅という夢の実現に人生を賭ける決意を固めたカレーラスは自身の公演の多くをチャリテイーと位置づけ、基金のための精力的な活動を続けています。」

(プログラムより抜粋)

 

 

 

 

すっかり髪も白くなったカレーラスでしたが歌声は素晴らしく、曲を重ねるごとにどんどん声も伸びやかに艶やかに。

サントリーホールは舞台の後ろにも席があり、そこからはステージを後ろから見ることになる少しお安いチケット料金の席なのですが、その席を向いて歌った時には感動しました。私たちの席は後ろ向きに歌うカレーラスの声を聴くわけですが、それがまたよく響くこと。

全てを歌いきって、鳴り止まぬ拍手に応え、おきまりの「アンコール」で数曲歌うわけですが、数曲どころかプログラムの曲を歌い終えた後、それは40分にも及びました。

 

私はピアノ弾きなので伴奏者のピアノにも大いに関心がありました。私は「伴奏ピアノ」というものを正式には学んでいませんが、カレーラスの伴奏者は途中、3曲ピアノソロも弾いたのですが、見事に伴奏ピアノと引き分けていました。そして、伴奏ピアノの時も、それはすでに「伴奏」という域を越えていて、カレーラスの歌にちょっと一歩下がった「Duo」でした。

一緒に行った人が,

「私は全然ピアノの事はわからないけど、すごくよかった!」

と言うので、

「それが一番よかった、って言う事だよね。」

と言って笑いました。

以前、「協奏曲は競争曲ではないし、ソリストが自分の技量をひけらかすものでもない。」と書いたことがありますが、世界的テノールのカレーラスと伴奏者の関係は完全に対等なものでした。それはまるで合気道での理想の「仕手」と「受け」の関係のようでした。

(すいません、こんなとこでも合気道が、、)

 

カレーラスが「アヴェ・マリア」を歌い始めた時には、

思わず目を閉じて神様に祈りました。

 

たまにはいいですね、クラシック・コンサート。

チケットを私の手元に届けてくださった人へ、、

感謝です。

BANG & OLUFSEN

  • author: YOKO
  • 2016.09.02 Friday

BANG & OLUFSEN (B&O)はご存知の方も多いと思いますが、優れたデザインと業界最高峰の音響性能を誇るデンマークの音響メーカーです。映画を見ていると、素敵な別荘やお金持ちの豪邸などによく置かれていて映画のムード作りに役立っています。

私とマイクが一緒になったのも、そもそもは、たまたま偶然に同じB&Oの製品を持っていた事が誤解の始まりでした。本当に、それがなかったら結婚していなかった!

 

 

マイクが手に入れるのを夢に見続けていた製品があって、結構な値段なので私は「オーデイオ製品はどんどん進化してるからもう少し待った方がいいよ。」と言う度に、「そんな事言ってたらやっと手に入れた時には、もう耳が聞こえなくなってるよ。」とマイク。

 

 

 

 

 

 

その製品を「引越しのため譲ります。」という人を見つけてマイクがコンタクトしてみるとなかなかいい感じだったようで値段もまずまず。「マイクも一生懸命、働いてきたからそろそろいいか。」と考えた私と下北沢まで見に行く事にしたのが昨年の12月。

どこかのアジア人のおっちゃんと思い込んでいたら、迷ってる私たちを見つけて「ここよ!」と声をかけたのは可愛い女の子でした。話を聞くと、そのマンションに引っ越した時にすでに部屋に設置されていて(その部屋はB&Oのためにキャビネットもしつらえてあり)前のオーナーからそのまま譲り受けて、すごく状態はいいとの事でCDをかけて聴かせてくれました。彼女は中国系ニュージーランド人でダンナさんはフランス人。来週、フランスに引っ越すのだけれど、次のオーナーさんが「これはいらないから撤去して。」と言われたので売りに出した、との事。

マイクはもちろん可愛いその娘から買う気満々で、翌週、車で取りに行き、晴れて我が家に夢だったB&Oがやってきました。

 

 

セッテイングしてCDをかけて至福の時が暫く、、いきなり止まりました。彼女の家では問題なく鳴っていたのに。

「死ぬ前に一瞬でも聴けてよかったよ。」と言いながら、赤坂のお店に相談に行くと、「これはもう作っていない製品で、CDプレーヤーそのものをもう製造してないのです。」ともっともな説明。仕方なくCDプレイは諦めてアンプとして使いスピーカーの音は楽しめている。

時代は変わったとはいえ、私はそれでもCDを捨てられない。iphoneに音楽をダウンロードして聴いたりしているけれど、絶対にCDをゴミ箱に捨てる事なんて出来ない。LPレコードだって、デイヌ・リパッテイのショパン他、ピンクフロイドの「原子心母」(だっけ?)やデビッド・ボウイのアルバムは大事に持っている。

アルバムの写真は記憶から消える事はないもん。

私は古いのか?

時代に遅れてるのか?

 

 

ショパンコンクール2015

  • author: YOKO
  • 2016.05.09 Monday

5年に1回開かれるショパンコンクールが昨年、2015年に開かれ、その上位受賞者のガラコンサートの映像を先日テレビで観た。
ショパンコンクール、エリザベート王妃国際音楽コンクール、チャイコフスキー国際コンクール、この3つを「世界3大コンクール」と言い、若き音楽家達の登竜門になっている。
私の聴いた限りでは2位になったカナダのシャルル・リシャールアムランが素晴らしかった。
しかし優勝したのは韓国のチョ・ソンジンだった。
ピアノ協奏曲の選考でシャルルはオーケストラと融和した美しい音楽を創り出した。
一方のチョは、テクニックを披露し、ピアニストが主役、という演奏だった。
協奏曲は競争曲ではないのだ、と私は言いたい。




テニスだってゴルフだって、この1位と2位とではその後の人生が全然違う。
2位の人間はいつまでたっても、「ショパンコンクール2015年2位受賞者」がついてまわる。
その一方、優勝者はがらりと世界が変わる。
コンサート依頼が世界中から舞い込み、
C・D制作もどんどん始まる。




で、このコンクールの功罪についてだ。
「コンクール優勝」はいわば「資格」のようなものだからピアニストとして生きていこうと思っている音楽家にとっては喉から手が出るほどに欲しいもの。
しかし。
この選考がフェアなものでなかったら、、、
これほど罪深い事はない。




これまでもこの種のエピソードには事欠かない。
ある演奏者が予選を通過した事に抗議して審査員を辞めた人の話。
ある演奏者が予選で落とされた事に抗議して母国に帰ってしまった審査員の話。
他の全ての審査員が満点をつけたのに一人だけゼロ点をつけた話。(これは今回も含まれる)
ゼロ点をつけた人間がひどい場合もあれば、良心のゼロの場合もある。
実際に優勝したピアニストが、振り返って「余りに若いときの優勝はその後の演奏活動の充分な余裕もないままの若者にとって害あって益はない。」として若い人のコンクールに反対した話。
審査をする有名なピアニストや教授の弟子が入賞しやすい、とか、コンサートにグランドピアノを提供する楽器製造会社の圧力とか、政治的圧力である年はアジア人が多く、ある年はロシア,東欧人が多いとか、などなど、逸話に困らない。
これではまるで「オリンピックシンボルマーク選考会」と同じではないか。




登竜門なのだから、ここから世界に羽ばたく門が開かれるのだからやっぱり必要なのだろう。
しかし、「最も優秀な演奏」などというものを一体、
決められるものだろうか?
個人的には私はコンクールという考え方が、あまり好きではない。
「やる気を起こさせるための競技大会」(特に子供たちの)も抵抗がある。
「賞」というものに抵抗がある。
それが真正なものであるならばいいけれど、多くはそこに選考する人間のいろいろな思惑がからむ。




こんな事を私がブツブツ言っている今も、
「ショパンコンクール2020」を目指して日夜、ピアノに向き合って8時間も10時間も練習をしているたくさんの若者がいる。
中には、「コンクール受けする演奏法」を伝授する事を宣伝する先生までいる。
中には、コンクールで優勝したのに、それからはピアノを見たくもなくなった子供もいる。
優勝できなくて辞めた子供もたくさんいる。




点数なんかつけられるか?
 

何も変えてはならぬ

  • author: YOKO
  • 2015.09.21 Monday

たまには本職の音楽の話。

たとえばベートーヴェンのピアノソナタはピアノの専門家を目指す人間にとっては聖書、いや教科書のようなもの。一つのソナタを弾きこなし、人前で弾けるところまでにするには相当の時間を要する。いや、相当の時間を費やしても弾きこなせない場合もある。
「どうしてこんなに音符が多くて、
こんなに難しいの?」
という箇所はいくらでもあり、
「どうしてこの曲をすらすら弾ける奴がいるの?」
と我が身の才能の無さを嘆く事も多々ある。



この曲を弾くのに、音符一つとて変えてはならない。
省略もしてはならない。
カットして短くする事もならない。
#が5つもあって弾きにくいからと、
ハ長調に変える事もならない。

つまり、「何一つ変えない」事が鉄則。

元にあるものをいじくり出したらきりがない。
「何一つ変えない」で何百年もの間をたくさんの演奏家が同じ作品を弾いてきたところに意味がある。
全く同じものだからこそ、
私達は自分の技量がわかる、
弾いている人間の技量もわかる、
技術だけでなく解釈も表現の個人差もわかる。
元のものが同じだからこそ、比較ができる。
自分のレベルがいやでもわかる。


だから「何も変えてはならぬ」なのだ。

偉大な先人たちが残した文化遺産はこうして引き継がれて来たし、これからもこのまま引き継がれていく。
この基盤の上にはジャズがあったり、
私の生徒さんであるKさんが好きな、
「弾きやすくて、きれいで、
心が癒される気持ちの良い」
ピアノ曲もたくさんある。
歌舞伎で言うなら、
何一つ変えずに受け継がれて来た作品の先に、
「創作歌舞伎」や「新作歌舞伎」
があるのと同じ事だろう。


何かを学んでいくには「技術の向上」なくして、
本当の面白さはあり得ない。
この「技術」を取得するためには、「音符一つ変えない」で何万人の人間が長い年月を弾き続けて来た作品を学ぶのが一番だと私は思う。

長い歴史の中で時々、
奇跡のような人間が現れ、
奇跡のような事をやり遂げて、それを残して行く。

それらは「何一つ変えず」に、
守り続けていかなければならない。
そして、その先にある「表現の自由」も、
約束されなければならない。

そう、できたなら、
あとはお好きに!
いかようにも!

という最高のおまけがついてる。

だから、そこまで行ってみよう!

教育の継承

  • author: YOKO
  • 2015.05.19 Tuesday

先日の「浦安市合気道連盟25周年記念演武大会」で、沖縄龍の皆さんと再会しました。
ジミーさんが、「ぼくの娘と奥さんが比嘉先生の奥さんにピアノを習っています。」
「ええ、聞いてます。」
「比嘉先生の奥さんはあなたにピアノを習っていたのですよね?」
「そうです、素晴らしい生徒さんでした。」
するとジミーさんがこんな事を言ったのです。
と言う事はつまり、ぼくの娘にはあなたのピアノ教育が伝えられている、というわけですね。」
ありゃ、そんな事、今まで考えた事もなかった。
しかし、そう言われればそうですね。
「継承」とは、こういうふうに人を介して次の世代へと伝えられて行くものなのですね。

で、演武大会の後のパーテイーの二次会で、
比嘉先生が、もごもごとスピーチをしていたのですが、
(聞こえないぞ〜)
突然、歌い出したのがなんとこの曲、「涙そうそう」でした。(この時も実はうるうるしてた私、、)

Yさんのおばあちゃんが、
ご自分に重ねられた歌詞はこんなです。

「古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた 
いつもいつも胸の中 はげましてくれる人よ 
晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔 
想い出遠くあせても 
おもかげ探して よみがえる日は 涙そうそう 


一番星に祈る それが私のくせになり 
夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す 
悲しみにも 喜びにも おもうあの笑顔 
あなたの場所から私が 
見えたら きっといつか 会えると信じ 生きてゆく 


晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔 
想い出遠くあせても 
さみしくて 恋しくて 君への想い 涙そうそう 
会いたくて 会いたくて 君への想い 涙そうそう」
 

      (*涙そうそう=涙がポロポロ)

       作詞:森山良子   作曲:BEGIN


泣き出したおばあちゃん。

  • author: YOKO
  • 2015.05.18 Monday

うれしい事がありました!
私の所にYさんという保育科に通う21才のお嬢さんが
ピアノのレッスンに来ています。
先月、彼女が、鹿児島からおばあちゃんが来て家に
2週間泊まるんです。」とうれしそうに言いました。
ちょうど「エリーゼのために」を練習していた事もあり、「じゃあ、もしおばあちゃんが退屈そうだったら、レッスンに一緒に来てもらったら?」と提案しました。

そして今日、Yさんとおばあちゃん、そしてお母さんの
3世代でレッスンにやって来ました。
「エリーゼのために」は緊張して、まあまあの出来。
そしてピアノのあとにこれまで練習してきた、小学校の卒業式で歌われている、「さよならの前に」を私の伴奏で歌いました。
これは一番が終わった所でお二人の拍手が起こるくらいの素晴らしい出来でした。
次に亡くなったおじいちゃんが好きだったという
「涙そうそう」を歌いました。

歌の途中で、おばあちゃんがひそかに泣き出し、
それを見たお母さんも必死にこらえながらも泣き、
それに気づいたYさんも目がうるうるになりながら、
最後まで歌い終わった時、、、、、
4人とも涙、涙で、お互いに笑いながら、
また涙でした。
おばあちゃんが、「メロデイーも好きですが、言葉の
一つ一つが自分に重なってしまって、、すいません。」
と、また目頭をハンカチで押さえます。

ああ、なんと素晴らしい一瞬でしょう。
それぞれの胸の中に刻まれた美しい瞬間でした。



ピアノ協奏曲

  • author: YOKO
  • 2014.08.12 Tuesday

何かあると昔から自然とピアノに向かう自分がいます。
数時間、引き続け魂が浄化されて、現実に戻れます。
音楽に感謝です。

ピアノ協奏曲という演奏形態があります。
みなさんも「モーツアルトのピアノ協奏曲」や「ショパンのピアノ協奏曲」などは、よくご存知の事と思います。私が19才の時に「サンサーンスのピアノ協奏曲」を初めて聴いた時の全身に走った戦慄は、私に「音楽に人生を捧げよう」という決心をさせました。

「ピアノ協奏曲」とはその名の通り、ピアニストとオーケストラが共演する楽曲ですが、これには2つの演奏スタイルがあると思います。

一つは、ピアニストが主役でオーケストラは主役を支え、引き立てる脇役、というビルトーゾスタイル。ピアニストはその「超絶技巧」を存分に披露する事ができます。

もう一つは、ピアニストがほとんどの主旋律は弾くものの、オーケストラが主になりピアノが影になったりして、両者で一つの演奏を創造していくスタイル。

昔はビルトーゾスタイルが主流だったと聞いています。
どちらになるかは、ピアニストと指揮者によって決められると思います。
もちろん、どちらが正しいとか、どちらが優れているとか、比較するものではありません。どちらも観客を唸らせるほどの高い芸術性を発揮するのですから。

私は?

そうですね、2つ目の演奏スタイルです。

「競争曲」なのではなくて「協奏曲」なのですから。
「調和」と「ハーモニー」は(同じか)特にクラシック音楽には大切なものです。
聴衆を驚愕させる事よりも、幸福感を与える方が音楽本来の目的でもあると、何度も人生の中で救われた私は信じます。
救われただけではありません。
何が正しいか、何を許すべきか、
そして、何と闘い、何を守るべきか、
人間として私がするべき事を教えてくれます。



キーワードは「家族」

  • author: YOKO
  • 2013.09.16 Monday

以前、ベネズエラ出身の指揮者グスタボ.ドウダメルと、彼を育てた音楽システム「エル.システマ」の事を書いた。その彼が今、ミラノスカラ座の来日公演で「リゴレット」の指揮で日本に来ている。
そのインタビュー記事を読んだ。

「ドウダメルは1981年生まれ。今や世界中のオーケストラが求める若手指揮者の筆頭格になり、現在はロサンゼルス交響楽団の音楽監督を務める。
クラシックの保守的な世界で、南米から躍り出たドウダメルは存在自体が「革命」だった。非西欧という壁を世界中の楽団の懐に平等に飛び込む特権に変える、そのキーワードは「家族」だったと彼は言う。
「5才から20年間、エル.システマの仲間たちと家族同然に育って来た。異なる価値観の持ち主が共存し、響き合うことが出来るという真実を、僕は肌身で知っている。ベルリンフィルやスカラ座の一流奏者たちのことも、いざ指揮台に立てば、自然に「家族」と思うことができるのです。」
エル.システマは「武器を楽器に」を合言葉に、スラム街で、犯罪や暴力の連鎖から子どもたちを救ってきた。
「世の中には今も、いろいろな意味での「境」が増え続けている。言葉の壁を越えられる僕たち音楽家が、その橋にならなければ。音楽こそが常に再生されながら時代を超え、平和のもとに誰をもシンプルに結びつけることのできる唯一の芸術なのだから。」
                (朝日新聞9月13日掲載)

その通りだと思う。
いまはネットの世界でユーチューブやフェイスブックで、一瞬にして一つの曲が世界を駆け巡り、世界中の人の心を捉える事ができる。

野球の桑田投手が肘の大手術の後のリハビリにピアノを習い、復帰初マウンドの前に自宅でピアノを弾いてから野球場に出かけたことは有名な話だ。

3.11の震災の翌日、私を遠方から自転車で訪ねてくれた生徒のしょーま君が水もガスも出ない私の家で弾いてくれたピアノはどんな言葉よりもお互いの心を癒した。
実際私たちがかわした言葉はこれだけだった。
「音楽って...いいね。」

2年前からピアノを始めた片ノ坂さんはこう言った。
「こんなに音も取れないし、音感も悪いし、指も思うように動かないのに、音楽に感動する事だけはできるんですよね。」

音楽に感動できれば、ほかの事にも感動できる心ができる。
音楽で「家族」を作れれば、合気道でも何でも、
私たちは世界中に「家族」を作ることができる。
「家族」を大切に想うのはあたりまえ。
一人一人の命が、かけがえのない意味を持つ。


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