Yet Another JUGEM.
「ごきげんな毎日」

乳癌になってから少し毎日の暮らしに気をつけるようになりました。

食べることでは、塩分、糖分、精製された米やパスタ、パン、油、アルコールなどなどの制限です。

そういう物を制限した結果、味覚が前よりも繊細になりました。もともと塩辛い物、甘い物が大好きでしたから、少しの塩味や甘味を感じるようになりました。

それ以外の味覚も強くなりました。

(写真は、LEON,Happy Saladas,より)

運動も以前よりも更に多くするようにしました。

そうすると身体を動かさない(座りっぱなしの作業など)時間がある程度経過すると身体がこわばってくるようになりました。(なので、今月のブログの少ないこと!)

夜、早めに寝る事、そして朝早く起きる事。

朝起きて真っ先にするのは、きれいな水を飲むことと、窓を開けて庭先に出て胸いっぱいに朝の空気を吸い込み、朝日が出ているなら朝日を浴びて、しばらく、ほんのしばらくの間ですが、、「そこにいる」ことです。

鳥たちが日の出のきっかり42分前に鳴き出すのをご存知ですか?

夏でも冬でもきっかり42分前に鳴き出す事を突き止めた人がいます。日の出の42分前は、木々が光合成を始め、酸素を放出する時間と合致します。なので、「早起きは三文の徳」は「三文」どころのベネフィットどころではないのです。

こんな事を書くと、「ああ、医学的治療を否定して、いわゆる代替治療(大量の野菜ジュース、瞑想、セラピーなど)に興味を持ち始めたな。」と思われるかもしれません。

実際、手術をして下さった美人の先生に「今後、食べ物などで気をつける事はありますか?」と聞いた時の答えはこうでした。

「何にも!なんでもお好きなだけ食べてください!」

この時は半分嬉しいような、半分悲しいような気持ちでした。

先生方はあまりに忙しくて、押し寄せる患者さんたちへの治療、対応に追われる毎日なのだと思います。でも食べ物や気持ちの持ち方に対するアドバイスは必要だと私は思っています。

多くの人から私は同じような質問を受けました。

「本当にもう全然大丈夫なの?」

「なんともないの?」

本当に何度も!

最初は「私が何ともない顔をしていては何かいけないの?」という気分になりましたが、それは間違っていました。

世の中には病を得て、気持ちが落ち込むのをどうすることも出来ずに、更に苦しんでいる方々がたくさんいらっしゃるのです。「これじゃいけない。」とわかっていても、どうにもならない状態から抜け出せずにどんどん落ち込んでしまう方も多いのです。

怒りや悲しみの感情をなるべくさらっと流し、

押し寄せるプレッシャーやストレスにもサクッと身をかわし、

「完璧じゃなかったけど、まあいいか。」

「きっとうまく行くかな。」

「もう考えるのやめ〜。」とか考えるようにし、

何となく「自分は神さまに護られているな。」と感謝し、

「毎日をごきげんに暮らす」事が、癌になった人だけでなく、

全ての人にとって理にかなった生き方なのかな、

と思うようになりました。

少なくとも私の「幸福感」は病気になる前よりも増加しました。

| YOKO | 乳がん | 10:58 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
放射線治療、終わった!

平日、毎日お勤めのように同じ時間に1月から2月にかけて放射線治療に通いました。

 

10月2日の「乳がん発見」以来、その一ヶ月後の入院手術も含めて、幸いなことに(よほどのおバカなのか)ほとんど自分がその病を得ている事を忘れて暮らしていましたが、毎日通った放射線治療のフロアでは、癌の患者さんしかお会いしませんからイヤでも「ああ、私って癌患者だった。」と思い知らされました。

私のようにスタスタ歩いて来る人もいれば、奥さんが車椅子を押して旦那さんを連れて来る人、病室から車椅子で来る人、病室から移動ベッドで来る人、様々でした。

最初は「わあ、、、、。」と思ったものです。

しかし、しばらく通ううちにあることに気がつきました。診察窓口にいつもいる看護師さん、放射線医師の方々、患者さんを連れてきたり迎えにきたりする看護婦さん、皆さんのあたたかさが、このフロアをとてもいい感じにしてくれているのです。

それは患者さんが気持ちが悪くなった時でも、昨日はちょっと心配だったけれど、今日は昨日よりは元気になった時でも、呼びかけに応える声が弱々しい時でも、付き添いの家族が相当、看護に疲れている時でも、いつもあたたかい空気が流れます。全ては「希望」の方向に導かれます。

考えてみれば、皆さん「死」そして「命」という究極のものと正面から向き合っている人たちです。でも、そのフロアにはネガテイブな空気は一切なかった。皆さんが意識してそうしているのか、医学に従事する方々が身につけるものなのか、私にはわかりませんが、毎日通いながら「これはなかなか出来ない事だ。」と思うようになりました。

治療が終わると「ご苦労様。また明日!」と診察券を返してくれる看護師さんはまるで「民宿のおばさん」のようなあたたかさ。

「気をつけて帰ってくださいね!」という声を背に「明日もまた来るね。」と心の中で言う毎日でした。

今日、初めて受付の前にある「どなたでも書いてくださいね!」というノートを開けてみました。そこには辛い治療でヘロヘロになりながら、ここに通って元気になりました!というような闘病記がたくさん書かれていました。みなさん、私と同じような事を感じられていました。

尊いお仕事です。

お世話になりました。

 

 

| YOKO | 乳がん | 19:09 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ありがたきもの、友。

放射線治療も順調に進み、仕事も続け、軽く合気道したり、ジョギングしたり元気にしてます。

昨日は友人が購入した家のペンキ塗りを朝から日没後までやってたくらいですから。

 

金曜日に、ほとんど日本にいない友人から電話がありました。私が電話に出るなり、受話器の向こうの声が涙声に。

彼女いわく、

「こんな事になって大変だったでしょうに、、私が大変な時にはいつも側にいてくれるのに、私は何もしてあげられなくてごめんね、、、。」

と言ってまた泣くのです!

「おいおい、バカだね。私は大丈夫だから。なに、泣いてんの〜。」

と笑ってしまったけれど、嬉しかった。

 

人からもらう優しい気持ちは、

いくつもらっても嬉しいものです。

しかし、なんで向こうが泣いて私が笑うのか。

バカだね、あいつ。

 

| YOKO | 乳がん | 09:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
人のおっぱいを笑うな

私の乳がんは大きさは2センチ弱だったものの、温存手術で直径6センチくらいは切除されたようです。

それでも術後、最初の診察で美人の先生が私の傷口を見て、

「わあ、きれい!自分でやったのをこう言うのも何ですが、

きれいですね。」

とおっしゃった時に、

実はこの時、私は自分の傷口は手術後、縫った訳ではなく接着剤(!)で閉じられたのですが、一部は接着剤がちゃんとついていなかったんじゃないの?と言いたい心境でした。

それを先生の「わあ、きれい!」で、

「ああ、そんな不満を言ってはいけないんだ。こんなにきれいに処置してくれて、と感謝しなければいけないんだ。」

と思った次第です。

後から考えると、この時の先生のリアクションはマニュアルに書いてあるのかなあ、、と思ったり。(すいません)

それでも私は明るく食い下がったのです。

「手術された左の方が、お肉を切られた分、リフトアップしたので右の方が少し下がって見えますよね。」

すると美人の先生、キリリとこうおっしゃった。

「切り取った分、脇の脂肪や何かも寄せてますからね。

そんな欲も出ますよね。」

「ああ、そうなんだ。そんな欲を出してはいけないんだ。

温存できちんと手術を成功させてくださったのだから、左右の差なんて、これは欲なんだ。」とまたしても反省。

 

術後は怖くて見れなかった傷も見れるようになり、

最初はシャワーのお湯がかかるだけで「ざくろのように」

傷口がパッカリ開くのではないかと怖かったり、

自分なりに色々な事を日々克服していったのです。

 

先日、久しぶりに気晴らしにGAPをのぞいて、

安くなっていたトップスを

「サイズが小さかったら、安くても買うのはよそう。」

と賢明にも試着室で来て見た時の事。

「やっぱり、ちょっと小さいかなあ。」

とマイクに見せた時に、

マイクが「クククッ」と笑ったのだ。

「小さい?」と私。

「いや、、、」とマイク。

「そうじゃなくて、、、左のおっぱいの方が高い位置にあるのがおかしくて。リフトアップするのに整形外科で手術したらいくらかかるんだろうね。右も上げてもらえたら良かったのにね。右はガンにはならないよね。」

 

奴は冗談のつもりで言った。

それも「極上のイギリス人のジョーク」のつもりで。

でも私にとってはこれは冗談ではないのだ。

「人のセックスを笑うな」と言う本があるけれど、

この時ばかりは「人のおっぱいを笑うな!」

と本気で怒った。

(怒った後で笑ったけど)

 

病気になった人は些細な言葉にもすごくナイーブに傷つく、

と言うことを私自身も学んでいる所だ。

病気の人にかける言葉は本当に難しい、と思う。

 

「合気道のことは気にしないでゆっくり休んで。」

もちょっと寂しかった。

「全快祝いを楽しみにしてます。」

も全快はないんだけど、と寂しかった。

一番嬉しかったのは、

「先生のいない稽古は寂しかったです。顔が見たいです。」

だった。

みんな心配しての言葉なのにね。

申しわけない事です。

 

 

 

 

| YOKO | 乳がん | 11:09 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
抗がん剤治療

「早期発見で無事に手術も済んでよかった!と思っていたのに」というような体験談がネットにも本にも氾濫している事がわかりました。

手術後二週間目、

手術で切除した細胞の病理検査結果を聞きに行きました。

手術前の「転移なし」は全て画像の上での話。

実際の組織を病理検査したものが本当の診断となります。

それまでの二週間で、読んだ、調べた、聞いた、相談した!

人間、その気になれば短時間で相当学習するもんです。

 

美人の先生の説明はこんなんでした。

「左乳房部分切除、およびセンチネルリンパ節生検施行。

Score 1,  Grade 1,

つまり、そこまで悪性度高くありません。

ガンは取りきれています。

リンパ節には転移はありませんでした。

再発予防の今後の治療として、

放射線とホルモン治療が必要です。」

と、ここまでは大変よかった。

やれやれと胸を撫で下ろしました。

「ただ、、」

と先生。

「HER2のScoreが2+、で境界ギリギリなので、

遺伝子増幅検査で判定が必要です。」

「この結果次第では抗がん剤治療という事ですか?」

「はい、その場合、抗がん剤を三週間に一度、4回、

その後、分子標的薬という抗がん剤を1年間します。」

「、、、、それは患者が拒否する権利はあるんですか?」

「もちろんあります。しかし、ガンが小さくても、このScoreが高かった場合、1年後に脳に転移するような事もあるので、ぜひ受けて頂きたい治療です。」

とサラリとしかしキッパリとおっしゃる。

「二週間後にもう一度来てください。多分、大丈夫!」

とニコっと先生。

 

その日までは自分でも自分を褒めてあげたいほど健気に明るく頑張っていた私ですが、そこからの二週間の辛かった事ったら、宣告を受けた時、手術をした時よりもきつかったのです。

二週間で何冊の本を読破し、ノートに取ったか分かりません。

「抗がん剤も昔とは違う」

「分子標的薬はこれからは治療の中心になる」

「早期の術後に念のための抗がん剤はあり」

「固まりのガンには抗がん剤は全く無意味」

「抗がん剤は猛毒」

「抗がん剤でもガンは消えない、小さくなるだけ」

「副作用に苦しんで亡くなっていくガン患者たち」

「ガンは小さくなりました。患者さんは亡くなりました。」

「何もしないで放っておくのが最善の方法」

「日本は世界で最も抗がん剤を使用している国」

「ホルモン剤も抗がん剤の100分の1だが毒性がある」

「放射線治療や検査の医療被曝は無視できない」

などなど。

 

家族とも話し、体験者とも話し、

「結果がどうであれ、今は抗がん剤治療は受けません。

再発、転移した時は、その時に最善の方法を考えます。」

と言うことに気持ちは決まりました。

決めたら気持ちは軽くなりました。

 

そして二週間後、病院へ。(その日も午前中は合気道の稽古。それがどれだけ気持ちを楽にしてくれたか分かりません。)

美人の先生の部屋に入り、椅子に座ります。

 

「HER2遺伝子の判定が出ました。シグナル比1.2。

HER2遺伝子、増幅なしで分子標的薬は必要ありません!」

と先生の笑顔。

 

思わず後ろにいたマイクと「よかったねえ。」

先生の長いまつ毛も嬉しそうに揺れます。

明日からホルモン剤を5年間、来月、放射線治療を16回、

5年間は3ヶ月に1回の診察、1年に1回の全身精密検査。

「10年で卒業です。」と先生。

(先生、10年私のそばにいて!)

 

「必要です」と言われて受けないのと、

「必要ありません」と言われるのでは天と地の差です。

 

こうしてたくさんのガン患者の人たちが検査に一喜一憂し、

治療を迫られ、治療を選択しながら、

毎日ガンと闘っているのです。

何と言う複雑で得体の知れない病なのでしょう。

治療を受けながら身体も精神も、そして本人だけでなく、

家族も、相当のストレスに立ち向かわなければなりません。

私はここまでは良かった方ですが、

これからのことは誰にも分かりません。

 

なのでなおさら、これからの毎日を楽しく、

本当に自分のやりたい事、一緒にいたい人、

そして自分が誰かに対してできる事、

世の中のため、世界のためにできる事があるならば、

それを探してやっていこうと強く強く思っています。

 

よく言うならば、

ガンのおかげで新しい事を経験し、新しい事を学び、

ガンのおかげで、私は2度生きる事になりました。

 

 

 

 

 

 

 

| YOKO | 乳がん | 18:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
稽古に復帰しました。

金曜日に退院して4日目の今日、稽古に復帰しました。みなさんが本当に自分の事のように喜んでくれました。

家族です、家族!

稽古の前に、「乳がんは乳腺や、リンパ腺があり、女性ホルモンが成長を助成するので、今後何らかの予防策は必要だと思いますが、ま、大丈夫でしょう。」とお話ししました。

ゴワゴワした道着が着れるのか心配でしたが大丈夫でした。

準備体操や前方受け身はパスしましたが、そのあとの審査稽古、演武稽古はお手伝いできました。

みんなの素敵なエネルギー(氣)をたっぷり頂き元気になりました。

ありがとう!

そして、一番嬉しそうに尻尾を振っていたのはもちろん、ポチでした。

稽古の後、お祝い写真を女子たちと。

そして男子たちと。

みんな、いい顔してるでしょ?

 

 

| YOKO | 乳がん | 18:51 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
手術後の16時間

小学生の時に扁桃腺を手術して一泊入院した以外はお産で2回入院したのみ、いわば私の初めての入院でした。

手術そのものは全身麻酔で何もわからない内に終わってしまうのですから怖いも何もありませんが、手術日を迎えるまでの検査の多いこと、検査結果を聞くまでの不安、検査の痛み、神経質になった患部は何だか日に日に広がっているような気がして、考えないようにして過ごして来ましたが、(実際、ほとんど忘れて生活してましたし、忙しかったし)嫌な時間でした。

それでも女性は自分の心配をするよりも、自分がいない間の夫の事、家の事などが気になり、ちょうど日に日に寒くなって来た頃でしたので、慌てて冬のコートや下着や靴を出したり、布団を冬用にしたり、やる事がたくさんあってバタバタと日が過ぎて行きました。

マイクに洗濯機のフィルターの取り替え方、乾燥機のフィルターの掃除の仕方、掃除機のゴミの出し方、空気清浄機のフィルターと水の入れ方、など説明していて気がつきました。そうだ、つまりこういうことを今まで全部、私がやってた。何十年という間、アイツはそんな事に全く関わらずに生きて来た。ああ、なんと腹の立つこと、こういう雑事は普通は夫の仕事じゃないか?まあ、マイクはきっと内心ものすごく心配してると思うのでこれまでの事は水に流すことにしました。

手術が無事に終わって、マイクと娘が帰り、

9時には消灯。

腕には点滴、左の胸はぐるぐる巻き、尿管もつけられていて水も飲めず、とても眠れる状態ではありませんでした。看護婦さんが1時間ごとに夜通し来てくれて色々な世話をしてくれて、ただただ感謝。もし子供の時にこういう入院を経験していたら看護婦さんとかお医者さんという職業を目指したかもしれません。

夜中にやっとストローで飲んだ水の美味しかった事。

翌朝、ちゃんと朝食が食べられたので、その後、全ての菅が取られ、歩いてトイレにも行き、歯も磨きました。

こんな基本的なことが自力でできるということ。

それがどんなに大切な事かと実感しました。

自力でトイレと歯磨き、そして食べられる事。

これが「生きる」という事。

 

| YOKO | 乳がん | 19:22 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
火曜日に入院し、水曜日は手術、金曜日に退院しました。

たまたま発見された私の乳がん。

初めて順天堂に行った翌週にCT検査とMRT検査を受け、先生からは「検査で見る限りでは他の臓器に転移なし、リンパにも転移なしです。リンパは開けて検査しないと確実にはわからないので、手術中にクロだったらリンパを取ることになりますが限りなくネガテイブ。20日の沖縄は多分大丈夫。12月のオーストラリアは全然、大丈夫。」と言われて涙が出るほど嬉しかったです。

「手術当日にRI検査というのをしますが、この注射が痛いです、とっても。」そんな。

 

翌週、つまり11月1日の小雨の降る寒い朝に入院しました。その日は全ての事から解放されて、何にも考えず天国のようでした。幸い同室の方々が気さくないい人たちで、リンパ腫、肝臓がん、乳がん、子宮頸がん等、いろんなお話を聞けて(あんまり見たくはなかったのですが)なぜか術後の患部も皆さん、見せて下さり、本当に明るく頑張っていらっしゃることに敬意を感じました。

 

2日、手術の日。

手術は三番目なので遅れるかもしれません、との事。

前日の夜9時から完全にお水もなし。朝9時にMI検査のための注射に行きました。

担当の女医さんは知性と美に溢れた若い先生で、その先生から「乳がんは10年のお付き合いです。10年経ったら大丈夫!」と言われた時、「ああ、この先生と10年お付き合いできるんだ!」とちょっと嬉しく思ったくらいに素敵な先生なのです。

「痛いので、少し冷やしていただきなす。」と看護師さんに言われ待つことしばし。

女医さんが来て、「では痛い注射します。」と申し訳なさそうに。「はじめチクンとします。それから痛いの行きますね。」もう、どうとでもなれ、と思っていたのですが、そんなに痛くなかった。

「はい、終わりです。」

「先生、脅かしすぎです、そんなにすごく痛くなかった。」と言うと、「でも痛くて泣く人もいるんです。」と先生。その薬が体内のリンパに行き渡った頃にMI撮影。もう私の体内はあらゆる医療機器によってあらゆる角度、あらゆる方法で撮影されたわけです。

午後3時に仕事先から娘とマイクが立ち会いに駆けつけてくれました。待つことしばし、、、。

「一番最後なんてきっと大した事ないんだよ。」と娘。

そうかも、、、。でも待つのは嫌だね。でも手術は先輩のMさんが「麻酔で眠っているのでわからない。」と励ましてくれたので、朝の痛い(そんなに痛くない)注射が最高の山でした。

4時すぎに「お待たせしました。」と手術室へ。

二人にバイバイして奥の奥の手術室へ。

手術台に乗せられて麻酔が身体の中を流れた、、、

私の記憶はそこまでです。

 

「はい、終わりましたよ!」の声で目が覚めました。

「ここはどこ?」「何だっけ?」と言う感じ。

これがMさんの言ってた「ワープ感」なんだな。

いきなり吐く、とかもなしにそのまま病室へ。

「リンパも取らなかったよ!よかったね。」と娘から聞いて心底、良かったと思いました。

胸もそっと下の方だけ手で触って見たらありました、私のおっぱい。

手術が終わったのが午後7時45分。3時間以上。

二人に「お疲れ様、ありがとう!」と言って帰ってもらいました。

待ってる方がどんだけ長かったか、、。

 

 

続きはまた明日書きますね。

| YOKO | 乳がん | 12:18 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
悪いことは一つもない。

マイクとは5月の「大腸ポリープ騒ぎ」で、ガンの疑似体験をいやという程に味わったので、リハーサル済みと言うか、ショックはショックだけれど、落ち着いていました。

問題は長時間勤務でくたくたになっている娘に、どう伝えるか、でした。ショックを受けて落ち込んだらどうしよう、、でも黙っているわけにも行かない、と伝えた時の事です。

彼女はきっぱりとこう言ったのです。

「これがガンでなくても、ガンであっても、悪いことは一つもない。」

なるほど。

「でも検査で医療被曝しちゃうような気がして〜。」と言うと、こう言ったのです。

「はっきりした事が分かる為なら、どうぞ被曝してください。」

強〜い、我が娘よ!

彼女の強い言葉にもどれだけ救われたかわかりません。ああ、結構ちゃんと大人になってたんだ、と思いました。

 

いくつか私のガンのお勉強。

ある先生は「ガンはもどきと本当のガンの2種類。もどきなら治療の必要はなく、本当のガンならば、見つかった時には、すでに数億のがん細胞が育っているのだから、これを全部消すことは不可能。

過激なガン治療が患者を苦しめる。ほとんどの患者さんはガンで死ぬのではなく、ガン治療で亡くなっていく。」と書いています。ちょっと身も蓋もないです。

私が納得できたのはこんな事です。

「乳がんの場合、早期乳がんとは、2cm以下のものを指す。1mmの乳がんも2mmの乳がんも早期乳がんだが、この大きさで乳がんと診察は出来ない。約1cmにならないとガンと診断できない。

免疫の監視をかいくぐった、たった一個のがん細胞が1cmの大きさになるには10〜20年かかる。

しかし、1cmが2cmになるにはたった3回の分裂、時間は1年半。

つまり検査で早期発見できるスパンはたった1〜2年の時間に限られる。」というものです。

私の乳がんは16mmx12mmの大きさだそうです。たまたま行ったエコー検査で、この1〜2年の早期発見のスパンにドンピシャリだったわけです。

なので、「何と言う幸運!」と感謝すべきです。

知ってるつもりで知らなかったガンの知識でした。

| YOKO | 乳がん | 18:09 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
人との繋がりのありがたさ

病院をチェックしながら、「これから長く治療がかかるなら近い方がいいなあ。」と思いながら地元の順天堂病院のサイトを開き、医師のページを見ていると何とそこに友人の名前がありました。

もう10年くらい前になりますが、その先生はマイクの英語のレッスンを受けていました。奥さんは私の合気道の生徒さん、二人の子供たちはピアノの生徒さんで合気道も始めました。そんなんで家族ぐるみのおつきあいになりました。私たちは教えさせていただいてただけですが、彼らが私たちにしてくれた事は数え切れないほど。

私の母が父を亡くした後、鬱病になっていたのを救ってくれ、友人がパニック障害になった時も助けてくれ、私たちがマルタの家を買う時に英文の健康証明書が必要な時にも助けてもらいました。私の日本で最後のピアノの発表会では彼女が心のこもったスピーチをしてくれました。

彼女に連絡をすると、すぐにご主人に連絡を取ってくれて、「彼に全部任せてください。大丈夫です。」と返事が。

この瞬間に私の不安は消えてなくなりました。

エコー検査から祝日を挟んで二週間後の月曜日に先生に病院で再会し、その日のうちに、心電図、採血5本、レントゲン撮影、エコー検査、マンモグラフィ検査、最後に針を刺して生検用に採取もし、会計を済ませたのが7時間後でした。彼も乳腺の先生も「ガンでしょうね。」とさらり。私もさらりと受け止めるしかありません。

ここでわざわざ合気道を持ち出すつもりはないのですが、「よしっ、ガンと闘って徹底的に叩き潰してやるぞ!」とは思わなかったのです。何とか折りあいながら共存して行こう、と思いました。

マイクにはこんなメールを病院から送りました。

「I got a cancer.  Hello my cancer !」

 

| YOKO | 乳がん | 17:05 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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