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English in マルタブログ!

Yet Another JUGEM.
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ショパンコンクール2015
5年に1回開かれるショパンコンクールが昨年、2015年に開かれ、その上位受賞者のガラコンサートの映像を先日テレビで観た。
ショパンコンクール、エリザベート王妃国際音楽コンクール、チャイコフスキー国際コンクール、この3つを「世界3大コンクール」と言い、若き音楽家達の登竜門になっている。
私の聴いた限りでは2位になったカナダのシャルル・リシャールアムランが素晴らしかった。
しかし優勝したのは韓国のチョ・ソンジンだった。
ピアノ協奏曲の選考でシャルルはオーケストラと融和した美しい音楽を創り出した。
一方のチョは、テクニックを披露し、ピアニストが主役、という演奏だった。
協奏曲は競争曲ではないのだ、と私は言いたい。




テニスだってゴルフだって、この1位と2位とではその後の人生が全然違う。
2位の人間はいつまでたっても、「ショパンコンクール2015年2位受賞者」がついてまわる。
その一方、優勝者はがらりと世界が変わる。
コンサート依頼が世界中から舞い込み、
C・D制作もどんどん始まる。




で、このコンクールの功罪についてだ。
「コンクール優勝」はいわば「資格」のようなものだからピアニストとして生きていこうと思っている音楽家にとっては喉から手が出るほどに欲しいもの。
しかし。
この選考がフェアなものでなかったら、、、
これほど罪深い事はない。




これまでもこの種のエピソードには事欠かない。
ある演奏者が予選を通過した事に抗議して審査員を辞めた人の話。
ある演奏者が予選で落とされた事に抗議して母国に帰ってしまった審査員の話。
他の全ての審査員が満点をつけたのに一人だけゼロ点をつけた話。(これは今回も含まれる)
ゼロ点をつけた人間がひどい場合もあれば、良心のゼロの場合もある。
実際に優勝したピアニストが、振り返って「余りに若いときの優勝はその後の演奏活動の充分な余裕もないままの若者にとって害あって益はない。」として若い人のコンクールに反対した話。
審査をする有名なピアニストや教授の弟子が入賞しやすい、とか、コンサートにグランドピアノを提供する楽器製造会社の圧力とか、政治的圧力である年はアジア人が多く、ある年はロシア,東欧人が多いとか、などなど、逸話に困らない。
これではまるで「オリンピックシンボルマーク選考会」と同じではないか。




登竜門なのだから、ここから世界に羽ばたく門が開かれるのだからやっぱり必要なのだろう。
しかし、「最も優秀な演奏」などというものを一体、
決められるものだろうか?
個人的には私はコンクールという考え方が、あまり好きではない。
「やる気を起こさせるための競技大会」(特に子供たちの)も抵抗がある。
「賞」というものに抵抗がある。
それが真正なものであるならばいいけれど、多くはそこに選考する人間のいろいろな思惑がからむ。




こんな事を私がブツブツ言っている今も、
「ショパンコンクール2020」を目指して日夜、ピアノに向き合って8時間も10時間も練習をしているたくさんの若者がいる。
中には、「コンクール受けする演奏法」を伝授する事を宣伝する先生までいる。
中には、コンクールで優勝したのに、それからはピアノを見たくもなくなった子供もいる。
優勝できなくて辞めた子供もたくさんいる。




点数なんかつけられるか?
 
| 音楽を聴くこと。 | 17:54 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |









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