何かを学ぶ、について。

  • author: YOKO
  • 2017.11.30 Thursday

少なくとも私とマイクは「教える」と言う仕事を職業にさせていただいてます。教えていることは、合気道、ピアノ、英語。そのどれにも当てはまる事が沢山あります。いつも合気道、ピアノの話が多いので今日は英語から。

私たち日本人は誰もが6年から10年、あるいはもっと長い間、英語を勉強していながら「使えない」のは誰もが実感している問題です。こだわるのは一に「文法」、二に「発音(ネイテイブのような)」、三に「間違えたくない」です。あ、もう一つあった、「語彙」です。

なので、一生懸命、文法を学ぶ、発音を頑張る、単語を沢山覚える。それでペーパーテストが高得点になっても、「使えない」は解決しません。じゃあ、留学して環境をガラリと変えたら解決する?海外の生活に順応するだけで、そんなには解決しません。では何が足りないのか?

「自分を開く」事です。自分を開いて目の前の他者を受け入れ、その人と「何かを語りたい」「何かを伝えたい」ものと伝えたい情熱を自分が持っているか、です。それは「英語の勉強」だけでは身につくものではありません。

ピアノは初めに音符の読み方やリズムの数え方を習って、楽譜通りに正確に弾く事ができるように頭と身体と指を使って練習します。だいたい10年くらいするとかなりの曲が弾けるようになります。でもそれで「演奏」ができるようになったわけではありません。

一つの楽曲の構造や歴史的背景、作曲家について学び、そこから「自分はどう表現するか」そのために足りないものを新たに獲得する必要があります。楽譜を更に深く解読する力も必要です。

そして最後に、「演奏している自分を遠くから見ている」デイレクターのような第三者的な感覚をもつ事が必須です。そうでないと、ただの自己満足に終わり、人の心に届くような演奏はできません。

合気道は帯の色、と言うものがありますので、みんな「黒帯」になる事が「夢」になります。

ではなぜ、最初の審査は「基本動作」だけなのか。なぜ最初の基本技が「片手持ち四方投げ」と「正面打ち一か条抑え」と言う非常に難しい技なのか。なぜ、茶帯の三級、二級、一級は全く同じ審査科目なのか。同じようになぜ二段以上は同じ審査科目なのか。

このことをよく考えて理解する必要があります。

「黒帯」を取った時は「やった〜」と言う気持ちになりますが、ピアノで言えば10年くらいやって「楽譜通りに正確に弾ける」レベルに達した、と言うことではないでしょうか。技の動きを覚えてから、その先に求められるものは、それぞれの技を自分はどう解釈し、どう動くのか。人に聞かれたならば、どう説明ができるのか。合気道を続けて10年、20年たった自分が合気道によってどう成長や変化ができたか。色々なトラブルやネガテイブなものに対して、めげることなくどう対処できるようになったか。そういった事が伴っての三段、四段ではないでしょうか?そういったことは教えてもらえるものではありません。

「うまくやろう」「かっこよく見せよう」「強いなあ、と言われたい」「すごいと相手に思わせたい」と言うような事に囚われているとそこまで行けません。

間違ってもいいのです。できなくてもいいのです。大事なのは、何回転んだか(失敗したか)ではなく、どうやって再び立ち上がったか、です。

だから強くなくたっていい!

偉くなくたっていい!

成功者でなくたっていい!

立ち上がった回数の多い人間が「黒帯」(初段以上)なのだと私は思います。

学ぶと言うことは「これまでどれだけ学んだか」の量や時間や資格ではなく、「まだ自分の知らないもの、できないものがどれだけあるか」に気がつくことです。

(写真はオーランドの高校生たちの合気道体験)

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